秋の日に。。。
清らかな 天へ 。。。
捧げる 祈り。。。
エミリオ神父様の お説教 。。。
そばにいるもののために 生きなさい。。。
マリア様の。。。
お優しいまなざしに 守られて 。。。
愛することの 豊かさと 平安。。。
善なる 大いなる 恵みのうちに。。。
今日の典礼のテーマは、先週の主日同様「富」についてです。
豊かさは人々の暮らしを快適なものに変えていきます。ですから人が富を求めるのは普通のことでしょう。
しかし、この富は非常に力をもっている、富にとらわれている人は、神と人から心を閉ざしていないか、世にある貧富の差にどう対処するのか……。
人はなぜ神に心を閉ざすようになるのかとの根本的な問いに、預言者アモスと、「金持ちとラザロ」のたとえは、一つの答えを示しています。
いつの時代にも同じような現実があり、今は構造的なしくみの中での貧富の差がますます広がっていっている中で、小さな一人ひとりではどうしたらいいかが分からないような中で、私たちは神の呼びかけをどう聞くのでしょうか。
今日の典礼をとおして語りかける神の招きを聞き、行動に一歩移すことができるように祈りましょう。
先週も触れたことですが、アモスの生きた時代、北イスラエルはヤロブアム2世によって、一時的な復興を迎え、首都サマリアには多くの財宝が流れ込みました。
その繁栄の下では、抑圧と不道徳、不正義が横行していました。
大地主たちは、神に供え物やいけにえをふんだんにささげていましたが、その陰では、小作人を苦しめ虐げていたのです。
「安逸をむさぼる」、「寝そべる」……などの言葉をあなたはどう聞きますか。他の人への思いやりがなく、自分だけが安楽な生活をする人に対し、預言者の言葉は実にきびしく響きます。
アモスは、先週に続いて、サマリアに対する叱責(しっせき)と威嚇のことば、「災いだ」の叫びを投げかけています。
第2朗読で、使徒パウロは、「神の人よ、……正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」と語ります。
このパウロの言葉は、真理に背を向け、金銭欲におぼれる人たちへの害を描く後に書かれて、エフェソ教会の指導にあたるテモテへどう生きるかを求めるものです。
正義を求め、神を父とし、キリストを長子とする心の謙譲、愛、忍耐と柔和を求める心。キリストの生きられた道であり、パウロはそれを追い求め生き、弟子にも勧めます。
「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい」とのパウロの命令を肝に銘じたいと思います。あなたにはどのような信仰の戦いがありますか。
キリストとの決定的な出会いをいつも待望しつつ、信仰の戦いを戦うことができるように祈っていきましょう。
福音書で、イエスは「金持ちとラザロ」のたとえを話されますが、ここに出てくる金持ちは、アモスが非難したような豪華な生活を送っています。
このたとえ話は、2つの強調点をもっています。ひとつは、死後の運命の逆転をテーマとしています(19~23節)。もうひとつは、金持ちの嘆願の拒否(24~31節)で、教えが主体となっています。
イエスが語られるたとえで、名前が登場するのは、ラザロだけで、ラザロとは“神がお助けになる”という意味です。
金持ちとラザロとは、対照的に語られています。オリエント世界の当時の金持ちと、貧しい人との生活状況が記されています。この状況が死後逆転しています。そして、両者の世界の間には何の交わりもないのです。
不正な管理人のたとえとは異なり、ここに登場する金持ちは、貧しい人となんの交わりももたなかったので、アブラハムの祝福にあずかることはできませんでした。
たとえ話の金持ちは、金持ちであったが故に死後に祝福を受けなかったのではなく、金持ちがラザロの存在に気がつかなかったからです。ラザロは何の要求もしておらず、黙って飢えや苦しみに耐え忍んでいただけでした。しかし、ラザロの存在そのものが叫びであり、問いかけであったのです。この叫びを聞き、問いかけに金持ちは応えるべきだったのです。
「今は、ここで彼は慰められ……」とは、なんと心に響いてくる言葉でしょうか。
声なき存在の叫びを聞き取るより、自分の欲望の声におおわれてしまっていた金持ちの責任が問われています。
イエスの最終的な呼びかけに応じることができるためには、存在自体からの叫びを聞き取る、心からの愛のアンテナをみがいておく必要があるのでしょうか。
羊の群れから小羊を取り牛舎から子牛を取って宴を開き
竪琴の音に合わせて歌に興じダビデのように楽器を考え出す。
それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き寝そべって
しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。 正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。
立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、
わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、
おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。
神は、定められた時にキリストを現してくださいます。
唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、
だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。
この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。
天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。
そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、
宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。
今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、
そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、
もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、
その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
今日の聖人聖セルジオ(ラドネーシュ)
9月25日 聖セルジオ(ラドネーシュ)
1314年-1392年
セルジオは、ロシアのロストーフの裕福な家に生まれ、名前はバルトロメオといった。
15歳のとき、ロシア内戦によって一家は全財産を失い、ラドネーシュに移り住んだ。両親が亡くなった後、兄のステファンと、近くの森で修道生活をすることを決め、聖三位一体にささげられた木造の小さな聖堂と丸太小屋を建てた。
兄は途中で断念したが、バルトロメオはひとりで修行を続け、その地方の修道院長のもとで誓願を立て、セルジオという名をもらった。その後も、森に住み続け、彼の徳の高さと謙虚な人柄は人びとに知られるところとなり、従う者があとをたたなかった。
彼と弟子が創設した修道院の数は約40にものぼった。また彼は、トルコ軍の侵入によって消滅していたロシアの修道院制を復興させた。セルジオは、ロシア諸侯の内紛を調停したり、大公ドミトリ・ドンスコイのトルコ軍との戦いを精神的に支え、勝利に導いたりした。
1378年、モスクワの総大司教に推されたが辞退し、生涯を貧しさに甘んじて過ごした。彼は、ロシア最大の聖人といわれている。