日曜日。。。夫とともにカトリック幟町教会( のぼりちょうきょうかい)へ。。。。。。.♡*† *・。・。+
涼やかな 雨は 天の恵み。。。記念堂の尖頭から穏やかに響く ミサの始まりを告げる 美しい鐘の音。。。。。。.♡*† *・。・。+
遠く 原爆投下の日を想い。。。また フクシマ 原発事故を思う。。。。。。.♡*† *・。・。+
時を刻む。。。命を刻む。。。愛する人を慈しみ。。。今ここに 生かされていること。。。
その 奇跡を想う。。。。。。.♡*† *・。・。+
マリア様の お優しい眼差し。。。。。。.♡*† *・。・。+
その溢れるほどの愛に 包まれて過ごす 穏やかなひと時。。。。。。.♡*† *・。・。+
千羽鶴に 託された 尊い祈り。。。
その 心からの願いは 一筋の光となって 天のお父様の元へ 届くことでしょう。。。
天と 地と 人と。。。全てに 優しく 優しく 微笑みながら。。。
癒しの大地に 大切に守られた 愛。。。広島。。。.♡*† *・。・。+
皆様のうえに 神様からの 恵みが
豊かに 豊かに ありますように。。。 *。:☆.。†
清らかな 日曜日。。。秋の始まりに寄せて。。。 *。:☆.。†
広島世界平和記念聖堂(ひろしませかいへいわきねんせいどう)。。。.♡*† *・。・。+
カトリック幟町教会( のぼりちょうきょうかい)
。。。.♡*† *・。・。+
バチカン放送局 。。。.♡*† *・。・。+
女子パウロ会より。。。.♡*† *・。・。+
年間第21主日第1朗読
イザヤ書 22章19~23節第2朗読
ローマの信徒への手紙 11章33~36節福音朗読
マタイによる福音書 16章13~20節
聖ペトロの首位権授与の岩
今日のキーワードは「鍵」です。「ダビデの家の鍵」、「天の国の鍵」が与えられます。
キリストは、はじめて「岩(ペトロ)」の上に教会を建て、この教会は死の国に打ち勝つことを約束されます。
岩は、イスラエルの救いの歴史に たびたび登場し、神の不動の支えのしるしとなっています。
神からくる確かさ、堅固さ。神からくる信仰告白の恵みこそ、「岩」の上に建つ教会を生かしています。私たちは、「あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧」との信仰告白を繰り返しながら、今日も聖体祭儀にあずかります。
この信仰告白は、日常生活の中で、どのような具体的な態度の決定を私たちにうながすのでしょうか。
* * * * * *
紀元前8世紀ごろ、北王国も滅び、南王国ユダも アッシリアの勢力により滅ぼされているころ、神はエルヤキムをご自分のしもべとして立て、王国の支配を託されます。
この時代、小国家ユダは、2大政治勢力であるアッシリアとエジプト圏にはさまれ、どちらにつくか、たびたび決断を迫られました。そして、その度ごとに国家の危機を招いたのです。こんな時代に、預言者イザヤは活躍しました。
今日読まれる箇所は、第1イザヤ(1~39章)に属しています。私たちが通常「預言者イザヤ」と言っているのは、ここに登場してくるイザヤです。
また、この第1イザヤもいくつかの部分に分けられます。例えば、1部 1章[総論]、2部 2~12章[ユダとエルサレムに対するさばきと救い]、3部 13~23章[諸外国の滅亡に関する託宣]、4部 24~27章[黙示]、5部 28~31章[主への信頼]、6部 32~35章[来るべく救い]、7部 36~39章[イザヤとヒゼキア]です。
イザヤ書は、非常に豊かな内容のある預言書ですが、手引き書やヒントに従って読んでいくと、理解する助けになるでしょう。
今日読まれる箇所は、第3部になります。「宮廷を支配しているシェブナ」(15節)に向って託宣する 後半部になっています。
神がエルヤキムを召して、「ダビデの家の鍵」を与え、「確かなところに打ち込み、かなめとする」ことを約束しています。
鍵を受ける人は、都全体に対しての権能を受け、門の前で公平な裁きを行いました。
当時の鍵は、大きくだれの目にも明らかに認められました。現在でもヨーロッパでは、権威の譲渡は鍵が、与えられることによって示されることがあります。
イザヤは、都が内部の不正によって その基をゆるがせていたときに、神が悪人を見捨てず、新たな支配者をたてて都を導くことを告げ知らせています。
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第2朗読は、パウロがローマの信徒への手紙の教理的部分を、今日の賛歌をもって閉じます。
先週の朗読では、すべての人の救いのご計画を示された聖パウロが、神のはからいに驚嘆し、心を打たれ、礼拝の心で今日の賛歌を歌っています。
典礼聖歌集でもこの箇所が歌えるようになっていますが、ゆっくりと味わいながら、祈り、歌うといいでしょう。
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弟子の教育の最後にあたって、イエスはご自分がだれであるかを、弟子との会話で説き明かしていかれます。
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と、弟子たちに問われます。弟子たちは、「ある人は……言っています」とのいろいろの意見を言います。このもろもろの意見の上に、キリストは教会を建てられません。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と、弟子たちに「あなたがたは?」と問われ、直接直面させます。
ペトロの回答は、信仰による告白でした。彼にとって、それ以外の回答はなかったのです。この告白に対してイエスは、「あなたはペトロ」と名付けられ、「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言われます。
「教会」とは、ここにはじめて登場する言葉ですが、どのような意味なのでしょうか。
福音書は、それについては触れていません。
ペトロの教会、それは岩の教会、信仰告白の上に立てられた教会です。そして、天の国の鍵をお授けになります。キリストはご自分の権限を委ね、ペトロが教会の要となることをお望みになられたのです。
今日、読まれる福音の箇所は、マタイがマルコの記事(8.27~33)に、マタイ16章17~19節の3節を、挿入したものと言われています。
マタイの編集意図は、教会の原点を、ペトロの告白に対するイエスの応答という図式に求めたものと言われています。
そして、このペトロの答は、聖体祭儀(ミサ)の中で、毎度聖体拝領の前に繰り返されています。今日は、この信仰告白を特別な意図で、しかも、「あなたがたは わたしを何者だと言うのか」との問い掛けに応答する心で、司祭の呼びかけに応えてみてはいかがでしょうか。
女子パウロ会より。。。.♡*† *・。・。+
祈り
ひとり子を救い主として世にお遣わしになった神よ、
ここに集まるわたしたちの信仰を強めてください。
神のことばに養われ、
キリストを力強くあかしすることができますように。
(集会祈願より)
第1朗読 イザヤ書 22章19~23節
わたしは、お前をその地位から追う。
お前はその職務から退けられる。
その日には、わたしは、わが僕、ヒルキヤの子エルヤキムを呼び、
彼にお前の衣を着せ、お前の飾り帯を締めさせ、
お前に与えられていた支配権を彼の手に渡す。
彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。
わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。
彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。
わたしは、彼を確かなところに打ち込み、かなめとする。
彼は、父の家にとって栄光の座に着く。
第2朗読 ローマの信徒への手紙 11章33~36節
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。
だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。
だれが主の相談相手であっただろうか。
だれがまず主に与えて、
その報いを受けるであろうか。」
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。
栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
福音朗読 マタイによる福音書 16章13~20節
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは言った。
「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
わたしも言っておく。
あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と
弟子たちに命じられた。