美しい晩夏の青空のした 世界平和記念聖堂 カトリック幟町教会( のぼりちょうきょうかい)へ。。。。。。.♡*† *・。・。+
世界平和記念聖堂 モザイクの 再臨のキリスト。。。.♡*† *・。・。+
1945年8月6日 広島の街は人類史上最初の原子爆弾によって灰塵に帰しました。。。。
廃墟と化した広島の街に犠牲者の永遠の安息と恒久平和を祈願して建立された聖堂。。。.♡*† *・。・。+
「再臨」とは神が 救いを完成する希望にあふれた信仰です。。。.♡*† *・。・。+
その日。。。
「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとく拭い取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。」
(ヨハネの黙示録21章3-4節)
「見よ、私は万物を新しくする」 (同21章5節)
未来への希望を与え。。。
苦しみや悲しみを癒し 新たな明日を夢見るために。。。
モザイクのイエス様は。。。
恒久平和を祈る 当時の西ドイツ アデナウアー首相からの 贈り物です。。。.♡*† *・。・。+
沈黙のうちに宿る真実。。。
マリアパパと共に 大聖堂に続く小聖堂(聖母祭壇)にある聖櫃(せいひつ)の前で 静かな祈りの時間を過ごしました。。。.♡*† *・。・。+
年配の御婦人が 心からの敬虔な祈りを捧げていらっしゃるご様子に 心打たれながら。。。.♡*† *・。・。+
世界平和記念聖堂のマリア様。。。
この聖母像は「無原罪の宿りの聖母」といわれます。。。。.♡*† *・。・。+
6才くらいの聡明な瞳をもつ男の子が 一人 一心にマリア様にひざまずいて 無垢なる祈りを捧げていました。。。。。。.♡*† *・。・。+
世界平和記念聖堂。。。.♡*† *・。・。+
世界で最初に被爆した広島の地に平和のシンボルとして献堂されたカトリック教会。。。。.♡*† *・。・。+
1945年8月6日の原子爆弾の惨禍に身をもって体験された 当時の広島カトリック幟町教会主任司祭フーゴー・ラッサール神父様が。。。
原子爆弾の犠牲となられた人々の追憶と慰霊のため。。。
また全世界の友情と平和のシンボルとして発案されました。。。.♡*† *・。・。+
これに応えて カトリック信者を始め 世界各地の真に恒久平和を願う人々の発願と多大な寄付により 1950年8月6日に着工され 5年の歳月を重ねて1954年8月6日に完成 献堂され「世界平和記念聖堂」と命名されました。。。.♡*† *・。・。+
設計は 当時のデザイン設計の第一人者であった村野藤吾氏が担当し 聖堂入口の7つの秘跡を表した彫刻は円鍔勝三氏の作品です。。。。.♡*† *・。・。+
遠く 原爆投下の日を想い。。。また フクシマ 原発事故を想う。。。.♡*† *・。・。+
広島を想うことは。。。平和を想うこと。。。フクシマを 想うことは。。。命の尊さを想うこと。。。
愛する人を慈しみ。。。多くの犠牲のうちに 今ここに 生かされていること。。。
その 奇跡を想う。。。.♡*† *・。・。+
中庭で 。。。
静かに微笑む ヒロシマの聖母・平和の元后。。。
Regina Pacis。。。。。。。.♡*† *・。・。+
皆様のうえに 神様からの 恵みが
豊かに 豊かに ありますように。。。 *。:☆.。†
清らかな 風吹いて。。。深く 限りない愛溢れ。。。心安らぐ 時間が 静かに 静かに 流れていきます。。。 *。:☆.。†
「平和の巡礼者」ローマ教皇 パウロ二世のお言葉。。。.♡*† *・。・。+
戦争は人間のしわざです
戦争は人間の生命の破壊です
過去を振り返ることは
将来に対する責任を担うことです
ヒロシマを考えることは
核戦争を拒否することです
ヒロシマを考えることは
平和に対して責任をとることです
広島平和アピール抜粋
1981年2月25日
War is the work of man.
War is the destruction of human life.
War is death.
To remember the past is to commit
oneself to the future.
To remember Hirosima is to abhor
nuclear war.
To remember Hirosima is to commit
oneself to peace.
Appeal for peace in Hirosima
Joannes Paulus P.P. Ⅱ
25.Ⅱ.1981
神よ、私の声を聞いてください
私たちがいつも、憎しみには愛
不正には正義への全き献身
貧困には自分の分かち合い
戦争には平和をもって
こたえることができるよう
英知と勇気をお与えください
神よ、私の声を聞いてください
そして、この世に、あなたの
終りなき平和をお与えください
パウロ二世。。。.♡*† *・。・。+
広島世界平和記念聖堂(ひろしませかいへいわきねんせいどう)。。。.♡*† *・。・。+
カトリック幟町教会( のぼりちょうきょうかい)。。。.♡*† *・。・。+
聖堂記。。。.♡*† *・。・。+
此の聖堂は、昭和20年8月6日広島に投下されたる世界最初の原子爆弾の犠牲となりし人々の追憶と慰霊のために、また万国民の友愛と平和のしるしとしてここに建てられたり。
而して此の聖堂によりて恒に伝へらるべきものは虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。
故に此の聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。
昭和29年8月6日
碑銘の祈り。。。.♡*† *・。・。+
世界からの寄贈品には 平和への祈りが刻まれています。
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「平和は犠牲の代償なり」(本祭壇)。。。ベルギー
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「平和への門は隣人愛である」(玄関扉)。。。デュッセルドルフ市(ドイツ)
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「復活せる基督の勝利とその平和は人間の作り為した廃墟より生る」
(聖櫃)。。。ボン市
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「ケルンと広島、おなじ苦しみに結ばれつつ世界平和のため共に働き共に祈る」
(パイプオルガン)。。。ケルン市(ドイツ)
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「再臨のキリスト」(祭檀中央モザイク壁画)
。。。西ドイツアデナウワー元首相
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「戦争の道具たりし鉄鋼はもはや民々を平和に招く(鐘)
。。。ボフメル・フェライン(ドイツ)
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ステンドグラス(上段)。。。。。。。オーストリア
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ステンドグラス(下段)。。。。。。。ドイツ・ポルトガル・メキシコ
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十字架の道行き(彫刻)。。。。。。。ミュンステル市(ドイツ)
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十字架像(彫刻)。。。。。。。。。。オーバーアマガウ(ドイツ)
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祭壇左右ローズウインドウ
。。アーヘン市フランシスコザビエル・フェライン(ドイツ)
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祭壇上ステンドグラス
。。。。ミュンヘン市聖ルドビコ布教会(ドイツ)ほか
バチカン放送局 。。。.♡*† *・。・。+
女子パウロ会。。。.♡*† *・。・。+
年間第22主日第1朗読。。。.♡*† *・。・。+
今日のテーマは神に召された人の苦しみです。。。。.♡*† *・。・。+
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マタイ 16.24:
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」
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マルコ 8.34:
それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」
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ルカ 9.23:
それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」
祈り
父である神よ、
あなたはひとり子イエスをとおして、神に従う者の道をお示しになりました。
ここに集うわたしたちが、主のことばに希望を見いだし、
主とともに歩む恵みに満たされますように。
(集会祈願より)
第1朗読 エレミヤ書 20章7~9節
主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑わされて
あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。
わたしは一日中、笑い者にされ
人が皆、わたしを嘲ります。
わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり
「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。
主の言葉のゆえに、わたしは一日中
恥とそしりを受けねばなりません。
主の名を口にすまい
もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中
骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。
第2朗読 ローマの信徒への手紙 12章1~2節
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。
むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、
何が善いことで、神に喜ばれ、
また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
福音朗読 マタイによる福音書 16章21~27節
このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、
長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
「主よ、とんでもないことです。
そんなことがあってはなりません。」
イエスは振り向いてペトロに言われた。
「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。
神のことを思わず、人間のことを思っている。」
それから、弟子たちに言われた。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのために命を失う者は、それを得る。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、
そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
女子パウロ会より。。。.♡*† *・。・。+